深い海で、一頭のクジラが鳴いている。その声は周波数が高すぎて、仲間には届かないとされる。「52ヘルツのクジラ」は、世界で一番孤独と呼ばれる実在のクジラの逸話である。

映画『52ヘルツのクジラたち』は、2024年3月1日に公開された。原作は町田そのこの同名小説で、2021年の本屋大賞を受賞し、累計発行部数は100万部を超えた。監督は『八日目の蟬』の成島出、上映時間は135分である。

この映画は、かわいそうな人を助ける美談ではない。声を出せない人の声は、聴こうとする人がいて、はじめて声になる。 その仕組みを、二つの時間を重ねて見せる。この記事では、公式資料と公開後の取材記事をもとに、物語の構造と制作の裏側を順番に読み解く。後半は、警告のあとで結末まで扱う。

映画を知らなくても、ここからわかる

主人公の三島貴瑚を演じるのは、杉咲花である。貴瑚は東京から海辺の町の一軒家へ引っ越してくる。町の人に事情は話さず、一人で暮らし始める。

はじめて見る人のための基本情報
知りたいこと答え見どころ
どんな作品本屋大賞受賞小説の実写映画現在と過去、二つの時間が重なる構成
だれが作った監督は成島出、脚本は龍居由佳里当事者と組んだ制作体制
いつ・何分2024年3月1日公開・135分最後に明かされる題名の意味
だれが出る杉咲花、志尊淳、宮沢氷魚、小野花梨ら聴く側と聴かれる側の交代

貴瑚はある日、母親から「ムシ」と呼ばれて痛めつけられる少年と出会う。少年は、声を出すことができない。貴瑚は少年を放っておけず、自分の家へ連れて帰る。

なぜ放っておけないのか。貴瑚自身が、かつて家族に人生を搾取されてきたからである。学校へ通う年齢から義理の父の世話を背負わされ、助けてという声を、長いあいだ誰にも聴いてもらえなかった。

少年と過ごす現在に、東京での過去が割り込んでくる。過去の中心にいるのは、貴瑚の声なきSOSに気づいた「アンさん」こと岡田安吾だ。聴いてもらった記憶を持つ人が、今度は聴く側へまわる。 物語はその形で進んでいく。

二つの時間が、同じ形をしている

この映画は、現在と過去を交互に編集して見せる。現在の軸は、海辺の町の貴瑚と少年。過去の軸は、東京の貴瑚と、アンさん、親友の美晴である。

回想は、貴瑚の表情や持ち物をきっかけに差し込まれる。現在の場面で残った疑問が、過去の場面で答えられる。観客は二つの時間を行き来しながら、貴瑚がなぜこの町へ来たのかを少しずつ知っていく。

過去の貴瑚は、家族の介護を一人で背負わされ、進学もあきらめていた。声を上げても届かない日々のなか、アンさんだけが貴瑚の異変に気づき、その家から連れ出す。助けは大きな事件ではなく、気づいて聴くことから始まる。

ただし、救い出されたあとの貴瑚も、順調には進まない。新しく始まった恋愛が、貴瑚を別の形で追いつめていく。アンさんとの距離も変わっていく。誰かに助けられた人が、そのまま幸せになるとは限らない。

  • 過去:声を出せないのは貴瑚。気づいて聴いたのは、アンさんと美晴
  • 現在:声を出せないのは少年。気づいて聴くのは、貴瑚
  • 題名:52ヘルツで鳴くクジラ。聴く人がまだいないから、物語が必要になる

二つの時間は、ただ並んでいるのではない。声を出せない人がいて、気づく人がいるという同じ形を繰り返す。聴いてもらった経験は、時間をおいて、別の誰かを聴く力に変わる。 題名が複数形の「クジラたち」であるのは、この連鎖を指すからだ。

「当事者と作る」を、脚本の段階から

アンさんは、トランスジェンダー男性として生きてきた人物である。演じたのは志尊淳。製作陣はこの役をめぐって、日本の商業映画ではまだ珍しい体制を組んだ。

脚本の段階から、トランスジェンダー当事者の若林佑真が監修に入った。さらにLGBTQ+インクルーシブディレクターのミヤタ廉と、インティマシーコーディネーターの浅田智穂も、撮影前から参加した。配慮を撮影後に付け足すのではなく、物語を作る段階に最初から置いた。

主演の杉咲花はCINRAの取材で、人のアイデンティティは物語を盛り上げるための「ネタ」ではない、と語っている。安吾の属性を宣伝でどこまで明かすかも、チームで議論を重ねたという。何を描くかだけでなく、どう作るかが作品の一部になっている。

課題も残る。同じ取材で浅田は、この規模の作品で当事者の俳優が主要な役を演じる準備が、日本の映画界にはまだ整っていないと指摘した。本作の体制は到達点ではなく、出発点として読むほうが正確だろう。

それでも、体制を公開しながら作ったことには意味がある。杉咲は同じ取材で、日本の映像作品で傷ついた経験のある人へ、もう少しだけ作り手を信じてみてほしいと呼びかけた。信頼は宣言ではなく、作り方の積み重ねで戻ってくる。

ここから結末:声はだれに届いたか

ここからは、映画と原作の結末を含む。知らずに見たい人は、最後の「三つの視点でまとめる」まで読み飛ばしてほしい。

過去の軸の終わりで、アンさんは自ら命を絶つ。貴瑚を救った人が、自分の苦しみだけは打ち明けられずにいた。聴く側にまわっていた人にも、誰にも届かない声があった。物語のいちばん重い事実である。

貴瑚が海辺の町へ移ったのは、この喪失のあとだ。気づけなかったという後悔が、少年を放っておけない理由につながっている。現在の行動の理由は、すべて過去の軸に置かれている。

現在の軸で、貴瑚は少年の名前を知る。「愛」と書いて、いとしと読む。名前を呼ばれてこなかった少年は、名前を呼ばれ、応えようとする。声を出せない人が変わるのではなく、聴く人が現れることで、物語は閉じる。

本作には自死の描写が含まれる。つらさを感じたときは、一人で抱えず、厚生労働省の相談窓口案内「まもろうよ こころ」などを頼ってほしい。苦しみを一人で抱えないことは、この作品自体が繰り返し描いていることでもある。

三つの視点でまとめる

この映画は、何を残すのか
見方心に残る理由今の時代とのつながり作る人の学び
物語助けられた人が聴く側へまわる連鎖虐待やヤングケアラーなど、声を上げにくい問題主張ではなく構造で伝える
映画二つの時間を交互に編集し、題名の意味を最後に置く135分で伏線を回収する構成力説明ではなく対応関係で見せる
制作体制当事者監修とインティマシーコーディネーターが脚本段階から参加表象への責任が問われている作り方そのものが信頼になる

52ヘルツの声は、出す側の欠陥ではない。聴く範囲を決めているのは、いつも受け取る側である。企業の発信でも、届かない声を「ないもの」として扱っていないか。この映画は、コンテンツの形をした、聴き方の練習である。

Sources / 参考資料