上映時間は196分。濱口竜介監督にとって初の海外撮影となった『急に具合が悪くなる』は、パリ郊外の高齢者施設と舞台の稽古を行き来し、日本語とフランス語で二人の女性の関係を描く。監督・脚本は濱口、共同脚本はルディムナ玲亜である。
情報量は多いが、原作を読み、介護の知識を覚えてから映画館へ行く必要はない。先に押さえたいのは三つである。中心人物はマリー=ルーと真理。原作と映画は別の物語。そして196分という長さは、二人の関係を急いで説明しないために使われる。
本稿は映画公式サイトのあらすじで公表された範囲と、公開前後の制作者の発言だけを扱う。二人に何が起こり、どこへたどり着くかには触れない。
予告映像も見ずに本編へ入りたい人は、この先の映像を再生せずに読み進めてほしい。埋め込みを表示できない場合は、映画会社ビターズ・エンド公式YouTubeの本予告を開ける。
最初に覚えるのは、マリー=ルーと真理の二人だけ
物語の中心にいるのは、名前の響きが同じ二人の女性である。
- マリー=ルー・フォンテーヌは、パリ郊外の高齢者施設「自由の庭」の施設長。入居者を人間らしくケアしたいと考える一方、人手不足やスタッフとの考え方の違いに直面している。演じるのはヴィルジニー・エフィラ。
- 森崎真理は、日本から来た舞台演出家。ステージIVのがんを抱えながら、パリで一人芝居をつくっている。演じるのは岡本多緒。
真理が演出する一人芝居を演じるのが、長塚京三演じる清宮吾朗である。吾朗と行動をともにする窪寺智樹を黒崎煌代が演じる。最初から四人の関係を暗記する必要はない。「施設で人を支えるマリー=ルー」と「芝居をつくる真理」の二人を見失わなければ、二つの場所を行き来できる。
一見すると、介護施設と舞台は別々の話に見える。しかし、どちらにも「目の前の人を、自分の都合のよい役割に押し込めずに見られるか」という問いがある。登場人物の説明より、誰が誰の話を聞き、どんな行動を返すかを追うとよい。
介護施設の場面は、パリ郊外で実際に運営されている施設で撮影され、入居者や職員の一部も参加した。カンヌ国際映画祭の制作記事は、その場所で撮ったことを明らかにしている。画面の端にいる人を、物語を進めるためだけの背景だと決めつけないで見たい。主役の会話と同時に、部屋で仕事や暮らしがどう続いているかを見ると、マリー=ルーが守ろうとするものが具体的になる。
本作は日本、フランス、ドイツ、ベルギーの共同製作で、台詞の多くはフランス語である。2026年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門に選ばれ、エフィラと岡本がそろって女優賞を受けた。
原作は20通の手紙。映画の出来事は別の物語である
原作は、哲学者の宮野真生子と医療人類学者の磯野真穂が交わした往復書簡『急に具合が悪くなる』である。晶文社の書籍紹介によると、二人は病気、生と死、人と出会うことについて20通の手紙を交わした。
ただし、映画は二人の実話をそのまま再現した伝記ではない。磯野は東京科学大学のインタビューで、映画の物語は本とまったく異なると説明している。それでも、見終えたときには宮野と過ごした時間がよみがえったという。
原作未読でも問題がないのは、このためである。本稿では、映画が受け取ったのは出来事の順番ではなく、病気を抱えた人と出会ったばかりの他者が言葉を交わし、予想できない関係へ進む感触だと捉える。
どちらから先に触れるか迷うなら、初回は映画だけを見てもよい。鑑賞後に原作を読むと、映画が何を新しくつくり、何を手紙から受け取ったのかを比べられる。先に読む場合も、原作が映画の展開を教える「予習本」になるわけではない。
196分は、「わかった」から「信じられる」へ進む時間である
196分は3時間16分。2時間を基準にすると、さらに76分ある。長さを知らずに入ると負担になる。ただ、制作者はこの長さを偶然の結果とは説明していない。
濱口監督は映画.comのインタビューで、当初の脚本は4時間近くあり、196分は必要なものを残した最短の形だと説明している。二人の関係を頭で理解するだけでなく、観客が本当にそうなったと感じるには、その時間が必要だったという。
だから、筋だけを早く回収しようとしなくてよい。同じ場所にいる時間、返事までの間、言い直し、言葉より先に動く身体を見る。岡本と長塚はフランス語でも演じ、エフィラも日本語へ取り組んだ。同じインタビューで濱口監督は、両主演が互いの母語ではない言葉を学ぶことで、相手の声と身体へ頼り、相手へ集中する状況が生まれたと説明している。
介護と一人芝居は、目の前の人をどう扱うかでつながる
介護施設には「ユマニチュード」が登場する。これは、人間らしさを尊重するケアの技法で、「見る・話す・触れる・立つ」を四つの柱とする。名前を覚えるより、善意を持つことと、相手が受け取れる形で行動することは同じではない、と知っておけば十分である。
一人芝居では、イタリアの精神科医フランコ・バザーリアが扱われる。バザーリアは、イタリアで精神科病院の廃止運動を進めた人物だ。介護と精神医療は別の領域だが、組織の決まりが目の前の人への関心を奪うことがある、という問題で並ぶ。日本ユマニチュード学会の座談会では、濱口監督とユマニチュードの考案者・専門家が、この二つを映画へ入れた理由を話している。
この二つの言葉を知らなくても物語は追える。本作はユマニチュードを紹介する教材でもない。映画の中で説明が始まったら、試験に出る用語ではなく、登場人物が理想を行動にできるかを見るための補助線だと受け取ればよい。
病気と死を扱う。自分の体調まで含めて準備する
映倫の区分はGで、年齢による鑑賞制限はない。一方、年齢区分と心の負担は別である。公式あらすじの段階で、ステージIVのがん、病状の進行、高齢者介護が物語の中心に置かれている。自閉スペクトラム症の若者や、介護現場の人手不足と考え方の違いも描かれる。原作も病気と死をめぐる実際の往復書簡である。闘病中の人、身近な人を看病している人、最近誰かを亡くした人には、近すぎる内容になりうる。
見るかどうかを決めるために結末まで調べる必要はない。公式あらすじと予告で扱う題材を確かめ、難しいと感じたら日を変える、同行者へ先に伝える、途中で席を立ちやすい場所を選ぶ。それも鑑賞の準備である。
上映前には、次の四点を確認したい。
- 終了予定時刻。 本編だけで196分ある。劇場の案内で予告を含む終了予定を確かめる。
- 休憩の有無。 2026年9月6日に確認した作品公式ページには記載がない。必要なら鑑賞する劇場へ直接確認する。
- 自分に必要な物。 飲み物、普段必要な薬、体温調整できる上着などを、自分の体調と劇場の規則に合わせて用意する。
- 見やすい席。 長時間同じ姿勢が難しい場合は、通路側など途中で動きやすい席も選択肢になる。
2026年9月6日時点の公式シアターリストでは、上映館とあわせてバリアフリー上映の案内を確認できる。本作はUDCast方式の音声ガイドと日本語字幕に対応する。音声ガイドは対応アプリを入れた端末、日本語字幕は専用メガネとマイクが基本で、一部劇場は携帯端末への字幕表示にも対応する。端末の動作や機器貸し出しは、出発前にUDCastと劇場へ確認してほしい。
準備が済んだら、あとは「正しく理解しよう」と身構えなくてよい。196分のあいだに、他人だった二人が相手のために使う時間がどう変わるかを見る。題名の出来事より前から、その変化は始まっている。
Sources / 参考資料
映画会社ビターズ・エンド公式YouTube「『急に具合が悪くなる』本予告」
Festival de Cannes「SOUDain」作品ページ
Festival de Cannes「The Making of SOUDain (All of a Sudden) by Ryusuke Hamaguchi」
晶文社『急に具合が悪くなる』書籍紹介
東京科学大学「映画『急に具合が悪くなる』原作者 磯野真穂が語る、宮野真生子さんとの日々」
日本ユマニチュード学会「ユマニチュードとは」
日本ユマニチュード学会「濱口監督×松田プロデューサー×ジネスト先生×本田先生が語る、映画とケアの未来」
映画.com「濱口竜介監督が語る『急に具合が悪くなる』」
映画倫理機構(映倫)審査作品検索
映画『急に具合が悪くなる』公式シアターリスト・バリアフリー上映案内
