「もっと優れた自分になりたい」。それと同時に、「もう、自分を改善し続ける競争から降りたい」。これからの消費を考えるとき、この二つを別々の人の欲求として扱うと、見落とすものがある。同じ人が能力を伸ばす講座を買い、比較から離れて休む時間にもお金を使うことは、矛盾しない。
コンプレックス商材が売れやすいと考えられるのは、本人が解決したい具体的な悩みに結びつくからだ。ただし、悩みの深さだけでは、売上も継続利用も決まらない。切実さ、改善を実感できること、支払い余力が重なる必要がある。
本稿は、2026年9月時点で確認できる調査を材料に、日本の今後3〜5年、つまり2029〜2031年ごろに向けて注目したい10の欲求を考える。将来の市場成長が実証されたランキングではなく、商品やサービスを企画するための編集部の予測である。
コンプレックス商材とは。売れる理由と、見落としやすい条件
コンプレックス商材とは、外見などに対する劣等感や、人に相談しにくい悩みの解消・軽減を訴求する商品やサービスを指す。たとえば、髪や肌、体形に関するケアが挙げられる。アフィリエイトサービスのA8.netも、こうした悩みに応える商品を同じ言葉で説明している。A8キャンパスの解説
悩みが具体的なら、使う場面も想像しやすい。写真を撮る前に肌を整えたい、朝の身支度を短くしたい。本人がすでに不便を感じている分、商品の用途を一から説明しなくても関心につながる可能性がある。悩みが繰り返し現れる場合には、継続的な利用の理由にもなり得る。
一方、この呼び方は売る側の分類だ。美容を楽しむ人まで、劣等感を抱えていると決めつけてよいわけではない。同じ化粧品を、悩みのカバー、気分転換、表現の楽しさのために買う人がいる。購入した商品だけを見て、心の中の動機まで断定することはできない。
また、健康、学習、恋愛、居場所への支出を、すべてコンプレックス商材と呼ぶのも粗い。本稿では、狭い意味でのコンプレックス商材を入口に、自己改善と安心を求める消費まで視野を広げる。どの欲求が強いかだけでなく、その人が何を変えたいのか、何から解放されたいのかを分けて考えたい。
外見・AI・健康。調査で確認できるのはどこまでか
まず、予測の足場になる事実を押さえる。リクルートの「美容センサス2025年下期」では、20代男性の1年以内の美容医療利用率は22.8%だった。対象は人口20万人以上の都市に住む15〜69歳の男女各6,600人で、この数字はそのうち20代男性についての結果である。リクルートの発表
医療脱毛や審美・矯正歯科なども含むため、「日本の男性の約4人に1人が整形した」という意味にはならない。下の年代別の表からも、利用率がすべての世代で一様に高いわけではないと分かる。さらに、利用の有無だけでは、楽しみで受けたのか、不安から受けたのかは判別できない。

AIについては、Microsoftの「2026 Work Trend Index」で、仕事にAIを使う回答者の65%が、AIで素早く適応しなければ取り残されるという不安を示した。日本を含む10市場の、仕事でAIを使うフルタイムの知識労働者・自営業者2万人が対象で、日本単独の割合でも、労働者全体の割合でもない。Microsoftの調査
これは適応への圧力が存在する手掛かりだが、有料講座を買う意思や、学習サービスの市場成長を直接測った数字ではない。「取り残されたくない」という不安と、「いくらなら何に払うか」の間には、まだ調べるべき距離がある。
健康管理では、電通の2025年「ウェルネス1万人調査」が参考になる。全国の20〜79歳の男女を対象にした調査で、睡眠状態や食事内容の記録、健康状態を測るデバイスの利用は、性・年代別では20代男性で最も高かった。健康管理を高齢者だけの関心として扱うと、若い層の利用行動を見落とす。電通の調査
ただし、これも将来の成長率ではない。美容は利用行動、AIは不安、健康は管理行動を示す調査であり、測っているものが異なる。三つの数字を横に並べて「どの市場が最も伸びるか」を順位づけすることはできない。
今後3〜5年に注目したい、10の欲求
ここからは編集部の仮説である。各項目の「心の中の言葉」は、取材相手の発言や調査の自由回答ではなく、想定する欲求を短く表したものだ。支出先も成長が確定した市場ではなく、需要を検証したい候補として挙げる。
1.外見で、最初から損をしたくない
「見た目で選択肢を狭められたくない」。外見のケアが身近になるほど、理想に近づきたい気持ちに加えて、手入れを怠っていると思われたくない不安が強まる可能性がある。肌・髪・歯・眉のケア、服装の相談などが候補だ。ただし、他者が実際に外見で評価しているかと、本人がそう感じているかは分ける必要がある。
2.年齢を重ねても、できることを減らしたくない
「年齢だけで仕事や恋愛、外出を諦めたくない」。若く見えることだけでなく、動ける体や、好きな活動を続けられる状態への支出に注目したい。運動や食生活の支援、健康管理などが考えられる。年齢への恐怖を刺激するより、買い手が続けたい具体的な生活を確かめる方が、必要なサービスを絞りやすい。
3.AI時代に、自分の価値を失いたくない
「今まで得意だったことが、誰でもできるようになる」。成果物を作る速さだけで強みを説明しにくくなると、仕事の目的を決める力、専門知識、結果を確かめる力を身につけたい需要が生まれ得る。支出先は実務教育やキャリア相談だ。道具の操作を覚える講座と、実際の仕事でできることが増える支援は分けて検証したい。
ライターを例にしたAIで仕事はなくなるのかという分析でも、職業名ひとまとめの議論から、案件や単価、担う役割へ分けることが出発点になる。
4.お金のために、嫌なことを断れない状態を避けたい
「大金持ちになるより、辞められる自由が欲しい」。収入の多さに加え、一社や一人の顧客に依存しすぎないことが価値になるという見立てだ。転職、副業、家計の整理、業務の省力化が支出候補になる。ただし、収入に不安を抱える人ほど有料支援を買えるとは限らず、高額な契約を前提にした設計とは相性が悪い場合もある。
5.少数でも、深く必要とされたい
「連絡先はあるけれど、困ったときに頼れる人がいない」。人とつながる入口が多くても、安心して話せる関係が十分にあるとは限らない。少人数の趣味の場や、繰り返し顔を合わせるコミュニティが候補になる。人数や交流回数だけでなく、参加を続ける負担、安心して離れられるかも価値を左右するだろう。
6.恋愛で選ばれ、関係を続けられる自分でいたい
「出会いがあっても、選ばれる気がしない」。相手探しだけでなく、写真、会話、紹介、関係づくりへの支援にも需要の余地がある。ただし、関係の成立は相手にも依存するため、サービス側が成果を約束できる範囲は限られる。マッチングアプリと対面イベントを扱った記事のように、出会いたい欲求と、使いたい手段は切り分けて見たい。
7.自分に向く仕事や生き方を知りたい
「選べる道はあるのに、選ぶ基準が分からない」。自己理解や適性分析、相談、短期の学習体験が候補になる。ここでの価値は、性格を一言で言い当てることより、次に試す行動を決めやすくすることにあると考える。分析結果を渡した後に、本人が何を選べるようになるのかまで設計したい。
8.情報を知るだけでなく、自分の考えを持ちたい
「情報は集めているのに、自分の意見が出てこない」。知識を得る入口が増えるほど、何を読むか、どう解釈するか、人にどう話すかへの不安が目立つ可能性がある。教養メディア、読書会、講座、文化体験などが候補だ。コンテンツの本数を増やす価値と、一つを深く理解できる価値は、同じではない。
9.疲れていても、生活を回せるようにしたい
「普通に働いて暮らすだけで精いっぱい」。仕事に加えて、食事や家事、外見、人間関係まで管理する負担があるなら、もっと頑張るための道具より、やることを減らす支援が選ばれるかもしれない。家事代行、宅食、休養、生活支援が候補になる。使い始めるための設定や記録が多いほど、疲れている人には届きにくい点も課題だ。
10.比較や評価から、いったん離れたい
「何者かにならなくても、安心していたい」。自己改善を続ける負担が大きくなれば、成果を測られない趣味、自然体験、静かな滞在などへの欲求も強まる可能性がある。ただ、休養にまで達成目標やランキングを持ち込むと、求めていた安心を失いかねない。消費を減らす、無料の場所へ向かうという選択もあり、有料市場の拡大とは限らない。
出世欲は消えるのか。欲望と、その満たし方を分ける
強まる欲求だけでなく、相対的に選ばれにくくなる手段にも目を向けたい。たとえばパーソルグループが紹介する同総研の定点調査では、「現在の会社で管理職になりたい」と回答した割合は、2021年の24.0%から2024年の17.2%へ下がっている。パーソルグループの解説
ここから言えるのは、その会社で管理職になるという選択への意向が低下したことだ。収入、裁量、達成感を求める気持ちまで失われたとは言えない。管理職の責任と得られるものが見合わないなら、別の働き方を通して同じ欲求を満たそうとする可能性がある。
次の表は、そうした見方を他の領域へ広げた仮説である。管理職以外の項目について、全国的な移行が調査で確認されたという意味ではない。
| 従来の手段 | 別の満たし方 |
|---|---|
| 会社で役職を上げる | 時間・仕事・付き合う相手を選べるようにする |
| 多くの人から人気を得る | 少数と深く理解し合える関係をつくる |
| 知識をたくさん覚える | 理解し、自分の言葉で話せるようにする |
| 有名ブランドで評価を得る | 自分に合うものを選べるようにする |
| 忙しさや苦労で努力を示す | 無理なく仕事と生活を続けられるようにする |
外見についても、「もっと美しくなりたい」と「手入れをしていないと思われたくない」では、同じ商品を選んでも動機が違う。改善の手段が普及すると、以前は仕方がないと受け止められていたことまで、本人の努力の問題と見なされるのではないか。これは本稿の中心的な仮説だ。
AIがあるのに仕事が遅い、便利な道具があるのに生活が整わない。こうした見方が強まれば、改善する手段が増えること自体が、新たな負担にもなり得る。そこで「もっと変わりたい」と「今のままでも大丈夫だと思いたい」が、同じ人の中に共存する。
事業として見るなら、切実さ・改善の実感・支払い余力
10の欲求のうち何を事業にするかは、不安の強さだけでは選べない。参考になるのが、美容医療の利用率と費用の違いだ。リクルートの同じ発表では、1年以内の利用者が回答した年間平均施術費用は、掲載された三つのジャンルすべてで、男女とも2024年から2025年に低下している。

一部の層で利用率が上がっていても、利用者一人あたりの支出まで上がるとは限らない。この表だけで、価格低下、利用回数、施術の組み合わせのどれが原因かは断定できないが、「需要の兆しがある」と「高い価格でも売れる」を分ける必要は読み取れる。
事業の検討では、次の三つを同じ顧客について確かめたい。
| 条件 | 確かめること |
|---|---|
| 切実な悩みがある | いつ困り、今は何でしのぎ、時間や費用をどれだけ使っているか |
| 改善を実感できる | 何が変われば役立ったと判断でき、サービス側はどこまで提供できるか |
| 支払い余力がある | 現在の予算で続けられ、他の支出より優先して払う理由があるか |
たとえば、AIへの不安が強い人に長期講座を提案する前に、今の仕事のどこで困っているのかを聞く。提案書づくりなのか、成果物の確認なのか、職場で期待される役割が分からないのか。困りごとによって、短い実務支援、上司との対話、継続学習のどれが必要かは変わる。本人が利用しても、費用を負担するのは会社かもしれない。
支払い余力は、年収だけから判断せず、現在の支出と優先順位から見る。「あったら使いたい」という回答と、条件や価格を示したうえで実際に申し込む行動は分ける。小さな有料提供を試すなら、提供範囲と終わりを先に示し、初回購入だけでなく、満足して終えられたか、必要な人が無理なく続けられたかを確かめる。
自己改善と休養を一つの商品に詰め込む必要もない。短時間で一つの仕事を覚えられること、記録を休んでも戻れること、人との比較を求められないこと。改善に伴う負担を減らす設計だけでも、両方の欲求に応える余地がある。
これから強まると考えるのは、変化への欲求だけではない。変わるための努力を、自分で加減したいという欲求でもある。企画の出発点は、相手の足りないところを探すことより、何を変えたいのか、何はもう頑張らずに済ませたいのかを、一緒に確かめることにある。
Sources / 参考資料
